海の中からみえた空

リクルートにいると「卒業」なるものによく遭遇する。年度末のこの時期は特に多いけど、ほとんど年から年中、誰かしらが卒業されていく。それが直接の知り合いの方だったり、知り合いの知り合いくらいの方だったりすることも多いのだけど、卒業を決めたタイミングや最終出社日の翌日などに、社内メールや個人ブログにて、けっこうすごい長文での言葉が並ぶ。


直近のだとたとえばコチラ

http://natsumeg.blog.jp/archives/47066799.html


それを読むのが僕はわりと好きで、辞めた後に何をされるのかというのが、まず結構おもしろい。自分で会社を立ち上げたりスタートアップに参画という多いパターン(ディすっているのでなく、割合として実際とても多い)から、ポーカーで世界王者マジで目指しますとかバイオリニストとしてプロ奏者になりますとか、アフリカに住んでみようと思います、というか正確にはもう住んでますみたいな、???なケースも結構あり、そういうのを見るにつけ、その人に意志さえあれば、何歳になっても人は何者にでもなれるんだな、と純粋にハッとさせてもらえる。

そしてもう一方で、リクルート時代の思い出や心に残った言葉についての文言を読んでいると、この会社で魂を燃やした思い出の日々や、一方で燃やせなかった悔しさやリクルートで働きながら感じていた葛藤についても赤裸々に語られる事がとても多く、その人が会社で成功したか失敗したか、出世したかそうでなかったかなど何の関係なく(そもそも社内文化として「社内で偉くてもしょうがない」と言い切られているので、たぶん誰も気にしてないけど)、その人自身の生き様が、本当にリアルなドラマとして、ストレートに心に響く。



そういうのを読むにつけ、いつも思うことがあって、それは

「自分がこの会社を卒業する時、どんな言葉を発することができるだろうか」

ということ。


辞めることを前提として働いているわけではない。むしろ、今の環境が未来永劫続くならばいつまででも働いてたいなとも思う。だけど、それは様々な状況の変化や自分自身の変化によって変わり得るし、その変化を前提とするわけでもないけど、予定調和で決まった未来に向かう思考にはしない自覚はしているつもりでいる。

そうした前提で、自分がこの会社を辞める時が来た時には、自分はどんな言葉を選び、どんな感情を抱いて卒業していくのだろうか。卒業していきたいと思うんだろうか。これまでで思い出に残った事業は何で、どんなことで怒られ、どんな時にもう死にたいと思い、逆にもう死んでもいいと思えるくらい幸せな瞬間があったのか。そしてこれから自分はどんな道に進み、どんな未来を拓きたいと思っているのか。そんな、いつ来るかわからない、死ぬまで来ないかもしれないし、逆にもしかするともう来月にやって来るかもしれない時のことも、ちょっとは頭の片隅で考えながら、「その時」がいつやってきたとしても、悔いなく胸を張って卒業の言葉を選ぶことができるよう、この4月からの4年目という時間を、これまで通りに、やりたいことをやらせて頂けている感謝と、それを仕事にしていることへの覚悟を持って、日々を生きようと思っている。



星になれたら/Mr.Children

https://www.youtube.com/watch?v=Hr2gvLePiJk