1月

去年の暮れに、2017年は毎月21日に振り返りの場を持つと決めた。毎月一回くらいは、自分がその時考えていることを、ある程度まとまった文章として吐き出しておこうと思う。

 

最近、キャリアアップとはいったい何ぞやみたいなことを考えている。したっぱとして丁稚奉公をこなして、リーダー⇒マネージャー⇒部長⇒役員・・・みたいなのがいわゆるキャリアアップとして定義されている言葉なのだろうと思うのだけど、その延長線上に、ほんとうに社長もしくは事業全体の責任者があるのだろうか、役職として就く就かないはさておくとして、そうした会社や事業のトップとしての素養は、その延長線上に存在しているのだろうか?というお話。

 

何をきっかけにそう思ったのかというと、自分自身が転職を考えているということもあるのだが、自分が今働いている部署はR新卒の人よりも外の会社からの転職組が圧倒的多数を占めており、DeNAやサイバーGREEといったいわゆるネット企業もそうだし、マッキンゼーボスコンベインといった外資コンサルの博覧会みたいになっていて、そういう方々と席を並べて仕事をしていると、たしかに各領域における知識やスキル面でいうとすごいなあーと思う事が多いのだが、じゃあそういった人が事業全体の責任者として機能するんだろうかと考えると、必ずしもそうではなかったり、実際うまくいかなくて交代になるケースが多い。一方で今の社長だったり事業責任者を見るにつけ、カリスマ性というか、事業を推進する・前に進めるという部分がすごく長けているように感じていて、それって何故だろう、ということは素直に疑問に思っている。

 

※別にR新卒の人がスキルが低いと言っているわけではないし、逆に全員が事業トップや経営者になる素養があると言いたいのではなく、ここでは単にスキルの高さ(髙い、と冷静に見ていて思う)が事業トップとしてのバリューに繋がっているわけでない事例を数多く目にする、という話にすぎない。インドネシアにいたとき、現地で起業している同い年の人に何人か会い、一緒に仕事をした人もいるが、その時感じたのは、ビジネススキルとしては自分が勝てる部分は多いんだろうなと思う一方で、そのカリスマ性というか事業のトップとしての腹の括り方や視座視界は、自分とまったく比べ物にならないくらい圧倒的だと感じたことも大きい。彼らの多くは、大学を卒業してすぐや、野村証券マッキンゼーといった大企業で2-3年働いた後に退職し、インドネシアで起業して、スキル面などでずば抜けている印象は持たなかった。

 

そうしたものを目にするいつけ、自分はどっちになりたいのだろう、そのために今自分が意識的に取り組むことは何なのだろうか、ということを考える。ビジネスマンとしてのスキルを磨くことは重要であるが、そこに重きを置きすぎると、器用貧乏になったりやもすると「使い勝手のいい人材」として、いろんな部署を転々とさせられる気がしていて、それは自分にとって本意ではない。自分がやりたいと思う事、正しいと思う社会を作るために何をするのか、ということにコミットしていたい。

 

じゃあ、そのために自分は何をやるのか、というところだが、これは色々考えている。自分で会社を始めるのか、今の仕事と全然関係ない起案(分野は同じとしても)をして全責任が自分にかかる環境に身をおくのか、はたまたそういう起業家の集まる場所(たとえばシリコンバレー?)に身を投じてそこで生活するのか、等いくつかオプションはありそうだなあとぼんやり考え出した程度だが、いずれにせよ今の仕事を辞める辞めないという二択よりも、今の仕事はやりつつ(だってとても楽しいし、そこへの不満や不安はあまりない)、自分のありたい姿へのチャレンジを模索しようかなと思っている。その中で、そのオプションの一つに全力コミットしたいという気持ちが芽生えてきたら、その時はRを出ていくのだろうと思う。

 

仕事でもなんでもそうだが、10年20年先の自分の人生の経営戦略を考えることが重要だと、色んな場所で言われる。配偶者やら会社に依存する人生は持続可能性を他人に委ねており、それは大変リスクが高い。自分らしく楽しくご機嫌に生きていくために、ただRで漫然と毎日働くのではなく、プラスアルファの具体的なアクションを取り続けようと思い、今日はこの辺で筆をおこうと思う(もちろん筆で書いてはいないのだが)。