コーラスライン

劇団四季コーラスラインを鑑賞してきました。(去年今年で計3回w)


好きなことをやれることはこの上なく幸せだと笑うその顔に、少しの憂いと少しの後悔が見え隠れする演技は、本当に素晴らしいです。あぁ恋してるなあってわかる、はっきりとしたストーリー。

自分は好きなことしてるだろうか?なんてあほらしいことは思わないけど、今自分がしていることを、少しの憂いと少しの後悔を笑顔で、その気持ちを味わってい続けたいと、このミュージカルを見るといつも勇気をもらえる気がします。


好きなことをしごとにすると、気のみ気の向くまま見ていたかったそれじゃない側面が見えてしまう時は本当にたくさん出てくるし、いったい自分は何やってるんだろうか、バカみたいだなと思うことも時にはあったりもするのだけど、そうした瞬間を目にするということを受け入れる、大げさかもしれないけど、そうした「覚悟」をもちながら、好きなことをやっぱり自分はいつまでも仕事にしていたい。


劇団四季:『コーラスライン』東京公演プロモーションVTR

D


もういい大人になったのだから、とわらう少年にかける言葉を僕は持ち合わせていないけど、大人の恋があるならこっちは全力で子どもの恋でいってやろうじゃん。

2015年振り返り

ちょっと早いけど。

去年も記事書いていたので、今年も踏襲してみる。


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去年の今頃は、今年3月にローンチを控えていたサービスの準備が佳境に入る中、色んなトラブルで予定日にローンチできない疑惑が持ち上がり、一週間の睡眠時間が1ケタの週もあったくらい忙しかった。「もうこんな会社やめてやる」という言葉も吐けないくらい疲れきっていた気がする。


そんな状態で始まった2015年だけど、今年はどんな一年だったのか。なんというか強いて言うと「良くも悪くも楽しく過ごせた一年」であったと思う。




・教育領域において自分がやりたいことを、所属する会社の仕事のみで100%実現できなくてもいいじゃんと思うようになり、なんだかとても肩の力が抜けた。たとえば70%分は会社で、20%は社外の活動Aで、残り10%は社会の活動Bで、みたいな。


・だから、会社に不満に感じることがあっても、すぐにストレスだの転職だの考えなくなり、まあいいやと。その会社やコミュニティごとに、Do'sとDon'sを分けて集中しようとしたことで、色々といいサイクルが回るようになったと思う。


・自分の生活の中に、自然と仕事や教育のことが「そこに在る」かんじ、がとても心地よい。夜お風呂あがった後に何の気なく広告の効果ログを見たり、朝ベッドの中で寝ぼけながらtwitterで自分のサービスの呟きを見ることが、ワーカホリックというよりは、自然とできていた。逆に仕事中でも、疲れたら皇居にブラブラ歩きに行ったり、午後は家でのんびり仕事したりと、真剣に仕事をしながら、それと同時に気楽に過ごせていた(これは会社から、そういう働き方もいいよと認めてもらえている部分も大きい)。


・一方で、けっこうな期間を一緒に過ごした人と(一緒に住んでもいた)、お別れすることになったりして、それはけっこう本当に辛かった。あのときは余裕がなかった、今ならまた違った接し方や伝え方ができた、とか色々思っても、いまさら時間は戻らない。


・そろそろ落ち着きたいw


前にも書いたけど、毎日楽しい中で、その楽しさにかまけて1年間終わってしまった。自分が磨こうとするものや、意識や目的なくただ毎日を過ごしてしまっている自分は、もう会社に入ってからずっとだし、本当に危機感もって時間の使い方を変えなきゃまずい。


・とてもよかったのは、オンライン教育サービスの立ち上げを、しかも海外で、好き勝手にやらせてもらえたこと。コンテンツ、マーケだけでなく、プロダクトの開発から法務、人事など、ある程度全体が見通せるようになってきた。飛行機の移動は疲れるし、友だちに会える頻度も減ってしまったけど、とてもおもしろい。全く飽きない。





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今年よく聴いた曲。

・春の歌

https://www.youtube.com/watch?v=MgcE9EZahOU

・Uruさんシリーズ 

https://www.youtube.com/watch?v=sNbsjw6K5z0&index=54&list=PLLdqzc5SkMbJ2htHeDu4HSCS58Y1w1Il2



今年一番よかった本。

35歳の教科書―今から始める戦略的人生計画(藤原和博

藤原先生に4月マニラで、お前いま何歳だっけ?と聞かれて、25ですと答えたら、頂いた御本。「10年後の自分を、今日から毎日妄想しろよ」と言われたのに、できていない。来年こそ。



最後に2つ。

やっぱり、日本の子ども達に向き合う時間は持っておきたい。メシの食える大人を育てるために、どんな武器を授けてあげるのか(それは五教科やプレゼンテーションスキルみたいな議論だけでなく、マインドや哲学的なことも含めて)、そうした部分に、もっともっと寄り添いたい。そのアウトプットとしての形が、最終的に何かのサービスなのか、企業買収なのか、目の前の子に対する指導なのか、それは手段としてできるようになりつつ。


あと、来年もこの調子で行けるのかは全くわからない、が、決めていることもあって、人との時間を大事にする。入社して二年半くらい、仕事のことしか頭にない時間の過ごし方をしていたけど、日常の中に仕事が在るように、日常にいてくれる人を、大切にしたい。ただあたりまえのことをする。




よいおとしを。

冬の天気

天気の違いというのはすべての何かを否応なく奪って行く。今日の朝は、東京は特に寒かった。マンションで、掛け布団と毛布でぐるぐるになって寝てたけど、暖房は消して寝るから、自分には重さが足りなかったのかもしれない。



東京にしても京都にしても、冬の空がきれいだ。

この透明な空気はインドネシアやフィリピンにはない。空気の重さ、湿度。


耳を突き刺すような風もあるけれど、

時折、ただ人を包み込むあたたかな風もあって、

そういう気分屋なところがけっこう好きだったりする。



明日は雨が降りそうで降らなさそうな天気らしく、スケジュールを立てるにあたって、朝仕事前に走りに行こうか行くまいか迷っているけど、きっと走りに行くんだろう。寒さゆえに動かしたくないはずの身体が、ストレッチと筋トレを自然と求めている。



インドネシアやフィリピンが時間の歯車を進める場所に、ただの日常という名の場所に、だんだんと変わって行く。この二つの国とも僕は好きだし、これからもっと時間を過ごす中でもっともっと好きになっていくと思うけど、日本という場所の棲家は、いつまでも大事にしていたい。


DESPERADO  The Eagles   COVER by Uru

https://www.youtube.com/watch?v=lG4DIbimxrw

面倒な考えごと

久しぶりの更新。

最近思っていることを、備忘録的に。


何かのために頑張っていると、いつからか頑張ることそれ自体に夢中なりすぎて、どうして頑張っていたのか忘れてしまっていることってないかなと、時々自分が怖くなることがある。本当は何かを手に入れたかったから、もしくは誰かに認められたかった、誰かに会いたかった、等のはずなのに、それは何のためなのかも忘れて、ただ頑張ってるだけになっていないだろうか。

自分の思考をざっくばらんに書き殴るためのノートをいつも持ち歩いているのだが、この2ヶ月ほど、ほとんど何も書いていない。バタバタしてて時間がなかったというよりも、ただ目の前の事に追われていることそれ自体に満足感を覚え、「今この瞬間の自分に影響しない」未来というかちょっと先の自分のことを考えるのが面倒で、考え始めた結果今のこの「気持ちいい」と感じている自分を失ってしまうかもとも思うが故、考えること自体を放棄しているような気もしている。というか実際そうだと思う。



仕事が仮に今うまくいっていても、自分の心身のバランスがとれていなければ、その結果はおそらく長続きしないし、そんな状態で長続きさせようとしてもストレスになるだけだろう。

そうした意味で、今日はなぜか何の仕事もできなかった。今日やります!って言った仕事の手をつけることしかできなかった。以前と違う自分が顕れるのは、何かの兆候だと思うし、丁寧に整理したい。


Mr.Children「Any」

https://www.youtube.com/watch?v=l1AlDdC95l4

とても簡単ではない気持ち

とある経緯で、この1年ほどかけて作ってきたサービスを閉じることになった。ネガティブな経緯ではなくて、買収先の会社が作っているプラットフォーム上に、これまで作ってきたコンテンツを乗せ換える。その結果、今使っているサービスを閉じることになるので、うまくいってないのでクローズになったというよりも、サイトのリニューアルに近い。

その会社のサービスは、東南アジアを中心にユーザーに認められて感謝される声を聞き(火山難民のコミュニティでコインを握りしめてインターネットカフェで勉強するとか、「はい今から○○○○(サ-ビス名)やりまーす。」せーのでみんなスマホ出して勉強する近未来的な授業を見られるとか)、ベンチャーで本当にゼロからユーザーを増やしてきているわけで、ギークなエンジニアを多数抱えた会社と一緒に今後進めていけることは素直にありがたい話だし、より拡大を図るためにサービスを移管することは、ビジネスパーソンとして喜ぶべきことに違いない。


ただ。


「自分が心血注いで作ってきたサービスを閉塞するとはどういうことなのか。」


買収された側の会社の人たちの気持ちはわからないし、おそらく僕以上に色々な思いを抱えておられる人もいるのだと思うけども、それでも、あえて自分の気持ちを正直にいうと、とても簡単ではない気持ち、である。多分あの日この話を聞いて、オフィスを出て、住んでいるマンションに向かって歩いたそのときのことを忘れることは、たぶんないだろうと思う。決して反対ではない、むしろ大絶賛なのに、どっかにふっと何かが残る。この気持ちを「わかる」って頼むから言わないでほしい、そんな気持ち。もっともそんなの自分だけかもしれないけど。

でもそんなにすべてのことを納得してから前に進むなんてことはないし、なんというか、いろんな門を叩いたとき、自然にあるべきところに物事は帰着する。10年後に「あのときそうしなくてもよかったんじゃないの」と言うことはあるかもしれないが、「そうしなかったときにどんな障壁があったか」は誰も知るよしもない。

だから進むべきところに進む。だけど、多分この「簡単ではない気持ち」はとても大切なのだろう。それがあるからきっとサービスを作り出すのに貢献できるのだと思うし、それを知っているからこそ、これからもそういう人たちとともに働くつもりだ。


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@こないだ行った湘南の海

琵琶湖ドライブ

ジャカルタ出張から帰国して、今回は関空に降りてそのまま実家へ。

所用でわずか数時間の滞在だったけど、空き間に父親と琵琶湖までドライブ行ってきた。高速乗ったら、京都から30分くらいで行けるのね琵琶湖。意外と近い。



夕陽を映す琵琶湖の景色は、とってもきれいだった。

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・・・写真撮るの忘れたので、googleで「琵琶湖、夏、夕陽」で検索して、みた実物と一番近そうなものを貼り付ける笑




さあ、また頑張ろう。

徒然と

今、思っていることをつらつらと。

自分の中にある、何かをしたい、こうしたいという気持ちが、明文化できない。できていない。

自分が望んだ、自分がしたいことをできると思った環境下で、自分が「ぼんやりと」やりたいと思う分野の仕事に就きながらも、会社から与えられた目標や課題に応える事に心血を注いで、それが「自分が真にやりたいこと」だと錯覚し、ただがむしゃらに走ってきたのだと思う。この4月に「去年1年間よく頑張ったで賞」的な表彰を頂いた時、正直な感想として、嬉しいどころか違和感すら覚えてしまい、その感情を抱いている自分を知った時に、自分は何もしたいことをしていないことと、何がしたいのか言語化すらできなくなっていることを自覚した気がする。

色々と揃ってる環境のはずなのに、何も満たされた気がしない。そうしていつの間にか、自分がしたいことが、何なのか胸を張って言えなくなってしまいました。社員座談会や新卒採用ページに出させて頂くときに語る自分の仕事と、日々自分が仕事で感じていることが、同じ内容のはずなのに、なぜだか全然異なる世界のような気がして、それを認識しながらもそれを話さねばならないときが、少しつらい。

ぜいたくな悩みなのか?



どうすれば自分の心は取り戻せるのだろうね。

ちょっと疲れてる。