母の日に思うこと

今日は母の日でしたね。みなさんいかがお過ごしでしたでしょうか。


僕の母はというと昨日の昼に突然東京のマンションに現れました(爆)。冬ものの衣類の整理に来てくれたらしいのですが、事前連絡が何もなくいきなり来たので、昨日昼にマンションに戻ってドアを開けるなり「おかえりー」という聞きなれた声が聞こえたときは本当にびっくりしました(笑)。

ふだん帰省していても僕は高校の友達や先生に会いに行ってばかりでほとんど実家におらず、いても父親とはわりかし進路のこと等について話すのですが母親とゆっくり話をする機会というのはあまり無かったので、今回の母親の突然の来訪は驚くとともに、母親とじっくりと時間をとって話す貴重な機会になりました。






で、二人でマンションの部屋の掃除をしたり買い物に行ったりしながら色々と話していたのですが、やはり話してみるもので、父親と母親では息子の僕に対して思っていることは違うんやなーと思うことは多かったです。

父親は僕の人生に対してほったらかしというか「お前が納得いくようにしろ」という感じで、商社マンになって世界を飛び回ったり官僚になって国家に己を奉げるであったり、そうした生き方に対してわりかし寛容に捉えてくれているのですが、母親はそうした生活には反対というか、「できれば京都に帰ってきてほしい」「実家で一緒に暮らして欲しい」という思いが強いようでした。

僕が一人息子であるからというのもあるんだと思うのですが、母親としては、息子が東京だか世界だかよくわかんないところで身を粉にして働きに働いて結果身体でも壊したらどうするんだ、そんなことしなくても所謂「まったり高給」な関西の優良企業に入って、家族で暮らして欲しいということなんでしょう。






本当に僕のことというか、身体の心配をしていたのが凄く印象的でした。産んだ本人だからなのかそれはわからないのですが、僕の健康を気遣ってくれているのが凄く「嗚呼、この人は僕の母親なんだな・・・」と話を聞きながらしみじみと思うことでした。

そういえば、大学2年の夏ごろに学園祭の実行委員(週7)・塾講師のバイト(週3)・議員インターン(週2)・とある中学校で授業ボランティア(週2)を全部一気にこなそうとして体に負荷をかけ過ぎてしまい、結果自転車に乗ってる途中に気を失って倒れ入院したことがあるのですが、あの時母親がまさに烈火の如く怒鳴り散らしていた姿を思い出しました(笑)。(父親は「大学生っぽくていいやんけ」と笑っていましたが・・・。)







母親というのはこういう存在なんでしょうね。

もちろん家庭それぞれ違うとは思うのですが、僕にとっての母親というのは、息子が将来出世するとか有名になるとかそんなことは大して重要ではなくて、ただ健康で元気でいてくれることが何より大切なことなんだろうな、と。

一緒に暮らしていないわけですから、当然僕がどこで何してるかなんてわからないわけです。無理しすぎて体調崩してるんじゃないだろうか、ちゃんとご飯を食べてるのだろうか、風邪とか引いてないんだろうか・・・。一週間連絡をしないだけで「大丈夫?元気でやってるの?」とメールをしてくる親です。傍から見れば親バカならぬ「バカ親」なのかもしれませんが、僕にとっての母親とは、それだけ自分の息子の無事を祈ってくれる、そんな大切な存在なのだと、今は思えます。

高校の時、東京の大学を受けること自体に反対で、当時は「なんてわからずやの親なんだ!」と憤慨していましたが、今になって少しその親の気持ちがわかる気がします。






僕は今年は就活しますし国1も受ける予定でいます。人生の岐路に立たされるであろうことは想像に難くありませんが、その選択にあたって、単に自分がやりたいと思うことだけで選ぶのではなくて、息子の健康を本当に心配してくれている母親という存在も頭に留めながら、悔いのない職業選択をしたいと思います。

まあもちろん、現時点でいうならば、親の理解があって頂いている1年間の休学という期間を「この子に1年間時間をあげてよかった」と思ってもらえるように精一杯勉学に励むことは言うまでもありませんが。







あと、これからはもう少し母親に電話しようと思います。特に話すことがあるわけでなくとも、あなたの息子は東京で元気でやってますよということを、伝えようと思います。それが今の僕にできる親孝行のひとつだと思うので。



いきものがかり「ありがとう」

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ではでは。明日のゼミの文献を再読して今日は寝ます。

明日も晴れますように。おやすみなさい。